第五章 〜天啓〜


 現在北海道の旭川におられる武田先生は、三ヶ月に一度横浜まで出張されています。自分の横浜出張と日程を合わせ、横浜で授業を受けることとなりました。

 

「いくら達人でも、死んでしまえばそこで技術は失われてしまう。このコツさえ押さえれば誰でも達人に近い成果を出せる、そんな整体法を作りたい」

 

 その思いで、先生が長い試行錯誤の末にたどり着いた≪リフレパシー整体≫。 それはこれ以上ないほど実践的で、整然と体系化された整体法でした。

 

 上半身系&下半身系の症状別処置法・三関節原理療法・頭蓋骨調整療法・腹証・フェイシャル。

 

 実際の症状に即したその内容は、まるで水が土に染み込むように、学ぶたびに自分の頭の中に浸透していきました。

 

 授業の後も先生とゆっくりお酒を酌み交わす機会があり、そこで様々な質問をぶつけました。

 

 今まで色々な先生方に、症状に関する質問をしてきました。そしてその答えの殆どが適当であったり、曖昧にお茶を濁されたり、果ては「なぜそんな質問をするのか!?」と怒り出したりといった対応でした。

 そこを先生は、弟子に対してというよりは同じ施術家の意見として、一つ一つ丁寧に・真摯に答えていただけました。

 

 他にも歴史・哲学・政治・科学・・・、整体以外のお話も尽きることなくお話をさせていただきました。

 

 技術だけをみれば、素晴らしい先生は他にも沢山いらっしゃいます。ただ自分はそれだけではなく、症状改善に対するひたむきな姿勢、クライアントさんを包み込む優しさ・誠実さ・謙虚さ、社会的知性・教養といったものを備えた施術家でありたいと思っています。

 

 そういった施術家としての「理想」を体現された方にはそれまで会えませんでしたし、出会えることは無いかもしれないと思っていました。

 

 しかしこうして、技術だけでなく施術家として初めてリスペクトできる方を見つけたと感じました。

  

 「『師』に出会えた」

 

 そう思いました。

 

 こうして必要な項目を全て教わり、晴れてリフレパシー整体の使い手「リフレパス」の全国第一号となりました。

 

 リフレパスとなった後、横浜から広島に帰る夜行バスの中。眠ろうとして目を閉じると、色々な感情が次々にこみ上げてきます。 恥ずかしながら、涙もとめどなく流れた記憶があります。

 

 「これでようやく、施術家としてスタートラインにたてた」

 

 その安堵感・充実感。これからクライアントさんのお悩みに、きちんとお応えできることへの楽しみ。逆に、今まで期待に応えられなかったクライアントの方への申し訳なさ。たった一人でこの整体法を造りあげられた先生の御苦労---。

 

 それらの想いが、全部一つになって自分の感情に押し寄せてきたのだと思います。

 

 「師」との出会い。それは偶然が重なった末の出来事と言えば、それまでなのかもしれません。

 

 しかし自分には、それまで必死に一人で道を切り開こうとした末の、天からの贈り物=≪天啓≫のような気がしてなりません。